狩猟とは(第十六話)
狙点の先(野獣の矢強さについて)

あれぇっ?

覆い被さる様に跳ぶ鹿向け撃ち掛けた
308口径180グレィンソフトポイント弾は
寸分の狂いさえなく 奴の急所を撃ち
抜いた筈  しかし其れにしては平然と
背後の崖下に駆け下りてしまったでは
ないか?
経験を積んだ射手にとり自らが放つた
弾丸の行方は 一般に知られるよりも
可也明確に辿れるもので こんな時に
”何故?”と首を傾げてしまうか 或は
”狙い通りの弾道が得られなかったの
だろうか?” 失意と不満が増幅して
次第に大きく占めだすと 直ぐにでも
矢場確認 走り去ったモノへの追跡に
移りたく成るのだが このようなケース
性急な行動は避けなければ成らない
焦れる心中を抑え動き出すタイミングを待つのだが そんな局面での時間は 遅々として進まない。。。 まだか?
点々と逃走径路を指し示す糊(血痕)は 形状とその量を読みモノの状態を見極める 谷間の砂地や残雪に残る
ワリ(足跡)の蹄が外側に開き出しVの字状に変化しだすと 受傷の重さだけに関らず 追跡を受け心身体ともに
疲労を感じ出した事を窺い知る   しかし何処まで行ってしまったのだろうか? 息を殺した寄り付きは常に相手の
上に位置取りを心掛け続いて行き やがて谷間に篭るような重く硬い銃声が この追跡劇のエンディングを告げて
幕は下りる。

『鹿は初弾 猪は止め矢』 此れは猟師間で古くから絶対と捉え語り継がれて来た例えで 所謂矢強さ銃弾を受け
即倒する可能性を言い表してると信じられてきた 多くの猟人が先輩諸氏から聞かされ 又後進へと伝えてきた
大物猟に関る全ての必須と成るだろう知識のひとつであった  しかし此処に来てまるで正反対の考えも耳にする
その発言の主は 私と関係の深い誰もが認めるベテラン猟師2名によるもので 幾多の実体験に基づく新たな評価は
無頓着に信じ込み凝り固まった頭を横殴りされたようなショックだった そぉ言われてみれば追われ跳び逃げる
鹿は勢いに任せ 視界から消え去る事も多く よく回収まで苦労をさせられた 例え心肝の臓器の破壊があっても
即倒せず何処までも行ってしまう その追跡には経験に裏付けされた知識と技術を要する 何れにしろ命を賭した
野獣最後の抵抗は 信じられ無い程力強く又狡猾で努々油断出来ない
何時も思い出す その出来事は
ある集落近くの山を狩り進めてる折で
動きの無い進行状況に もう終了かと
解除告げるハンドマイクを握った途端
主尾根裏へと配置した 谷待ち本線の
数発のライフル銃声 間をおき無線に
飛び込む連絡は 電波状況が悪いか
ブツブツ途切れ要領を得ない?
谷待ちに配置の全て 現場集合を求め
狩山を降り始める 既に全員集合の
現場で状況を聞く 私と勢子の無線の
遣り取りを聞いて この猟の終わりを
感じ気を緩め動いた刹那 身を潜め
其方を窺う大鹿が 開けた待ち場下を
一気に跳び抜けたらしい 虚を付かれ
撃ち手は 良く狙い込む余裕さえ無く
三発曳いた 一連報告に奴の受傷は
身体の下脚辺りで無いかと思われる
既に何人かが対岸に渡り 山裾を
跳ぶモノへ追跡に入っていた

<この尾根を右から左に>
其の侭の勢いで山裾を巻いて裏山に返ってしまえば もうその地点で追跡は途絶え回収するには更に困難に
成るのかもしれない? 無線に聞き耳を立てると ワリを見失い芳しく無い事が窺えた しかしモノは僅かな出血の
割に深刻な状態なのか 裏山へとのルートには乗り切れて居ないようで ”これは”と閃き 現場待機中の車を呼び
先回りする事にした。。 南北に伸びた集落を横切る谷間へと回ると読みは当たった ぐるり集落を囲む野獣避けの
電柵を荒っぽく蹴倒し アスファルト舗装の車道を僅かな血痕を落とし跳んで居る 一部始終を見て居た住民が
身振り手振りで行き先を伝えて来る ”何とか獲って貰わないとあかんので”そう言われた しかしまずい銃を抱え
集落内を捜索する訳にも行かない 取り合えず車内に銃を預け痕跡を拾い出した 車道を暫らく行くと駐車場を横切り
庭先に造られた畑を蹴散らし屋敷の軒下を抜け 終に下段のメインストリートに出た それに沿うのは村内中心を
東西に割る川で 誘われるように下手の橋を駆け上がった ”居た!” 三面護岸の中 低い堰堤が連なるその中
まるで重戦車の様に下流向け走り去る真っ黒な塊! 瞬間の確認にて受傷は右前脚を砕いた事を知る 先の
通報者が言っていた ”脚の折れたとてつもなくでかい鹿”は確かにだった しかし手元には銃が無い 勿論住居が
入り組む川岸での発砲はとても出来ない相談で しかし逃走ルートに住民の姿が見当たらないのが何より幸いだ
やっと追いついた車内から銃を手にすると 集落が途切れる下流へと回り込み逃走径路を抑えに掛かる しかし
川中に奴の姿は見当たらなかった 更なる下流?国道まで出て探しに向う者 私は先程発見したその現場に戻り
痕跡をあたりだす 奴はその位地から死角に成る 其処しかないだろう土砂が崩れ堆積した処を踏み台に攀じ登り
対岸の電柵を又も引き倒し その先は7.80年物の檜の森で地表には処所僅かな積雪が有る程度 もう行き先を
見失ってしまいそうだ その先の山裾に付けた林道を数名が見極めている しかしどうにも足の向く方角が其方で?
見落として居る気がして仕方無い 改めての確認になんと駐車した車の下泥の上にワリが!  この処鹿犬として
成長目覚しい紀州犬を出すと盛んに斜面上に引く ”放せ” 一気に駆け上がった紀州犬は やおら吠え込み出す
”落ちて来るぞぉ 広がれぇ。。” 叫びながら跳び出すかもしれない位地向け走り出していた  ・・バキバキバキ・・
激しく木々を踏み倒す音と共に 木立の中を真っ黒な陰が?? その姿を追い走りつづけた  後から発砲音三度
一名堪えきれず撃ち掛けたようだ 更に奴は速度を上げた    あそこ!あそこに出たなら一発で仕留めてやる
走りながら黒塊向け一発目を引いた 中らない 次の瞬間終に全身が露になった 前脚付け根辺りに筒先を向けて
無意識に引き金は落とされた 奴は一旦平場に”グシャリ”と潰れ 惰性でスローモーションの様に土手下に捲くれ
落ちて行った 駆けていたスピードの侭自ら二度三度と跳び寄り付くと なんと奴はまだ立ち上がらんと足掻きその
両角を振り回しているではないか? その角を両手で握り仰向けに抑え付けると 遅れ追いついた仲間が加勢して
なんとか事なきを得る しかし際どい猟だった 改めて見直すとモノは出会った事さえない馬鹿でかさで 角は
先端で変形した蓮華角 その異様からこの山塊での主たる存在だったのかもしれない 逃走術の狡猾さ力強さに
改めて頷かされる 重ね驚いたのは私の放ったライフル弾一発に 心臓の大半を破壊されても更なる反撃抵抗を
試みた野獣の底知れないパワー 生命力に改めて驚かされた一日と成った

                                                            oozeki